JAFPAの生い立ち

JAFPAの成り立ちイメージ

高山植物は、別項「高山植物とは・高山植物の生い立ち」に記した様に、過酷な気象条件や環境の中に生育しているため、環境に合わない場所においての育成は極めて困難な植物です。しかし、その姿形が可憐なことと希少価値から心ない人の手によって盗掘され、絶滅した種類も少なくありません。特に昭和50年代に入りますと、折からの山野草ブームもあって、全国の各地で無惨な盗掘が相次ぎ、新聞やテレビ等で報じられました。 

こうした中、日本の最高峰富士山や第二峰北岳を有する山梨県において、全国初の高山植物保護条例が制定されました。この条例は、単に採取を禁ずるだけでなくその流通をも規制したもので、他の都道府県に制定の輪が拡がることによって高山植物の保護対策は飛躍的に増大するものと期待されました。しかし、各都道府県の反応は極めて遅く、その間にも全国では盗掘の被害が報告されました。この様な状況に危機感をもった山岳写真家白簱史朗氏や文芸評論家の近藤信行氏等が中心となって、各都道府県に条例制定の呼びかけを行うとともに、まず人の心によって守っていこうと全国に呼びかけて設立されたのが、この日本高山植物保護協会(Japan Alpine-Flora Preservation Association 略称JAFPAジャフパ)でした。
平成元年6月に、元国立博物館の生物部長をなされた佐竹義輔氏を初代会長とし、全国から800人ほどの会員参加によってスタートいたしました。

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